相談No.2323
親の期待に応えることが親孝行なのか

こんにちは。17歳女性です。
私は小学生の頃から私立に行かせてもらい、高校まで上がってきました。親には本当に感謝していますし、尊敬できる友人が多くできたり、海外研修にたくさん参加させてもらったりと、私立ならではの恵まれた経験もたくさんできました。しかし一方で、このことに強いコンプレックスを感じています。小学校受験は親の努力の結果であり、たまたま経済的に恵まれた家庭に生まれたから行けただけだと思うからです。つまり、合格することに自分の努力はほとんど関係がなかったという事です。
「私立に行かせてもらった以上、それに見合う成果を出さなければ」と思う一方で、公立出身の人より勉強ができなかったり、自分の能力の低さを感じることがあります。そんな時、私立に入れてもらった意味を考えてしまいます。
また、親に学費を出してもらうことに対してもコンプレックスを感じます。 親に完全に依存していながら、大した結果を出せない自分が恥ずかしく感じるからです。進路に関しても、親がお金を出しているのだから、親の望む通りにすべきだと思う自分がいます。
しかし同時に、自分の行きたいところに進むのが一番良いとも思います。もし親が自分の希望に反対した場合は、自分で解決しなければならないとも考えてしまいます。結局、お金を出してくれるのは親だからです。
このように、心の中には矛盾する気持ちがたくさんあります。
友達に相談すると、「親が学費を出すのは当たり前だし、進路も自分で決めていい」と言われました。しかし、そうすると親がわざわざ高いお金を出して私立に行かせた意味は何なのか、と考えてしまいます。もし親が想像する「自分にとっての幸せ」を子供に与えたいと思っているのなら、子供はその意見を尊重すべきではないかと思います。親の考える幸せを体現することも、親孝行の一つなのではないか、と考えることもあります。
こうした考えは、私が恵まれた環境で愛されて育ってきたからこそ生まれるのかもしれません。私はバイトもしたことがなく、社会のこともよく知りません。そのため、この考えはとても子供じみたものに感じるかもしれません。
そこでお聞きしたいのですが、親孝行とは具体的にどのような行動や考え方を指すのでしょうか。また、私立に通わせてもらうことで、親は私に何を期待しているのでしょうか。 長い文章になってしまいましたが、長年疑問に思ってきたことなので、回答いただけたら嬉しいです。

ほんっと、めっちゃくちゃ良い子だな。こんな相談を読んだら親は泣くわ。そんな風に思ってるのかって。こんなこと微塵も考えず、クラスの女子かわえーとしか思ってなかった校長の高校時代なんか、もうゴミですわ。
「小学校受験は親の努力の結果であり、たまたま経済的に恵まれた家庭に生まれたから行けただけだ」
まぁそりゃそうだよな。例えば校長は普通にメシを食わせてもらえる日本の子どもに生んでもらったわけだけども、もちろん校長の努力ではないし、親のおかげ。感謝はするけど、なぜそこに引け目を感じる?逆に言えば君が望んだことでもないのに?この環境は、「君に与えられた諸条件」というだけであって、君がラクしたがった結果としてそうなったわけでもないから責任を取る必要はないよな。そして君の幸せが確定したわけでもなく、誰にとっても、良い条件を与えられても、幸せになるのは簡単ではない。だからさ、そんなのはいいんだって。校長なら「普通に暮らせた日本人」という優位性を、(苦しんでいる世界の人と比べれば)もらってるようなものだけども、それでも幸せになるって大変だし、幸せになる競争では貧しい地域にいる人より前にいるとも言えないから、ずっとチャレンジャーなわけ。君もそこコンプレックスに感じてる場合じゃないぞ。そこからの位置でもずっとチャレンジャーなんだから。
私立に行かせてもらったからには成果を出さなければ、ってのもなぁ。まぁ子どもの立場からでは分かるまい。親が私立に入れた意味。それは、結果を出してもらうっていう、良いリターンがほしかったからじゃないさ。君が幸せになる確率を上げようと思っただけ。課したものに苦しんでほしいわけがないんだよな。可能性を広げるよう、より未来が広がるように、お金を投じただけだ。君は一生懸命に生きたらいいが、それは親のためではなく、ただ自分の幸せのためにそうしたらいい。そして上手くいかなくても、自分の幸せのために悩むべきであって、親のために、親に引け目を感じて悩むべきじゃない。
親孝行なんて簡単だってば。それはもう君が、自分のためにでいいから、幸せになろうと思って、前向きに生きること。本当にそれだけでいいんだから。その結果として感謝したり何か返すならそれでいいけども、まずは君が幸せになろうとして生きること。それがまぁ生き生きとしてればなお良いけど、そうじゃなくても、悩みながら頑張ってたらいい。親の願いはそれだけだぞ。
まぁ君の感じ方を否定はしないけどな。そう感じるのは分かる。それに、どの親だって、子どもに「こうなってほしいな」みたいな気持ちがゼロというわけではない。だけど、それは、幸せに生き生きとして頑張ってほしいという大前提の上に、「まだ望めるなら」っていうぐらいのものなんだよな。期待に応えようと苦しんでほしいわけじゃないから。投資に対してどれくらいのリターンがあるかなんて思ってないから。
働き手が何人欲しいから何人産まなきゃ・・・みたいな時代ですら、目的のために産んだようで、子どもの顔を見れば、その幸せを願ってしまうんだよな(いや全員がそうだったとは言わないが)。君の親はもう絶対にそうだ。自分らの幸せのために君が生まれた、と言えばまぁそうだ。しかし、それは、君が笑っているというのを見て、それで幸せを感じたくて、例えば寂しさが薄れたりなんかもして、達成されるんだよな。子どもに投資すると最後に親に還元されるのよねーぐへへ・・・ってことじゃないわけ。
まぁでも、君、猫が好きか分からないけど、猫とか好きな動物を飼おうとしてみれば少し分かるんじゃないか?そりゃ自分がかわいがりたいし幸せになりたいからだよな。だけどそれは、にゃん太郎(仮名)を利用するわけでもなく、にゃん太郎が不幸では成り立たないことだ。にゃん太郎とのたくさんの思い出を抱えて、にゃん太郎が嬉しそうでこそ、自分の存在が意味あるものに思えて、幸せな気持ちになるんだから。
親孝行は先に考えなくていい。自分の幸せや納得が結果としてそうなるから、そのために引け目を感じず、まずは一生懸命に生きなさい!しかも全力!楽しんで、思いっきり、チャレンジャーとしてだ。それが親孝行だから。
君の気持ちが楽になって、自分の気持ちや自由を大事にして、生きていけますように。そして君が、もちろん君の親も、みんな幸せでありますように。