相談No.2322

高3になり受験のモチベーションが消えてしまった

挿絵初めまして。17歳女性です。

高校3年生になってから、急に受験へのモチベーションが消えてしまいました。本当に急に、ぷっつりと消えてしまったんです。その原因が知りたくてメールさせていただきました。

参考になるかわかりませんが、私の身の上話を書きます。

私は小中高大一貫の私立小学校に通わせてもらい、高校までエスカレーター式で進学してきました。小学校4年生の時、親が中学受験をしてほしかったらしく、塾に通い始めました。それまで学校の勉強で困ったことはなく、どちらかというと頭がいい方でした。しかし塾では算数がめっぽうできず、毎月行われる公開テストでは偏差値30を取ってしまったり、小テストで0点を取ってしまったりして、「自分は勉強ができない」と思うようになりました。公開テストの結果を父に見せるたび、母と一緒に叱責され、とてもつらかったです。母は私の勉強を見てくれていましたが、理解力がないために怒られることが多かったです。

小学5年生の時、転機が訪れました。2か月間***に留学することになったのです。当時は留学に対する不安が大きく、喜びはありませんでしたが、今思い返すと、塾や受験勉強から逃れることができ、行けてよかったと思います。***では、そもそも私が英語をほとんど話せなかったこともあり、いじめ?らしきものに会いました。人種差別的なこともされた気がします。あまりよく覚えていませんが、朝起きると泣いていたこともあり、結構きつかったです。英語力はあまり伸びませんでしたが、メンタルはすごく鍛えられたと思います。今となってはいい経験だと思います。

帰国してから、元々通っていたきつめの塾を辞め、もう少し緩い塾に変えました。志望校のランクも落としました。以前のように厳しく叱責されることもなくなり、生きやすくなりました。ただ、成績は志望校に届かず、内部進学する方がいいという結論に至り、いつの間にか受験しなくてよくなっていました。しかし父は受験をとても重んじる人だったので、その時に大学受験だけは絶対にするという約束で、中学に進学させてもらいました。

中学に入って最初のテストで、私は人生で初めて数学で赤点を取ってしまいました。内部進学を渋々許されて以来、初めてのテストだったので、父はすごく怒りました。「勉強ができないのに私立に行かせる意味はない。公立の中学校へ転校しろ!」と言われました。母は転校をやめさせようと1か月くらい毎日父と喧嘩していました。母が泣いているところも見ました。私は母が泣く姿を今まで見たことがなかったのでとても印象に残っています。

一方、私は毎日昼休みに生徒指導室に呼ばれて、学年主任のおじさんに怒られた記憶しかありません。何を話していたのか本当に覚えていません。とにかく、こんな状況になっている自分が情けなくて恥ずかしくて、今後どうなるのか怖かった記憶があります。

次の試験では絶対に結果を出そうと思い、勉強しました。次のテストでは点数を大幅に上げることができました。点数としては大したことはありませんでしたが、努力を認めてもらい、そのまま進学することが許されました。それからの中学生活はとても楽しかったです。

高校に上がる時、私は外部進学コースに進みました。

これまで勉強でそれなりに結果を出し、少し自分にも自信がついていましたが、また数学で躓いてしまいました。ちょうど次年度の進路選択をする時期の数学のテストで、5点を取ってしまいました。この点数を取る前もずっと点数は悪かったので、その点数を見た時、私は理系ではやっていけない、このコースではついていけないと思ってしまいました。そこで内部進学コースに移って受験をすることにしました。親に理系に進んだ方がいいと言われたので、第一志望を国際系の理系コースにしていたのですが、そのコースには落ちてしまい、国際系の文系コースになりました。普通の理系のコースもあり、そこに落ちることはないのですが、なぜか第二志望を国際系の文系にしてしまいました。ちょっと親に反抗したかったんだと思います。自分のことを自分で決めたいと、そう思ってしまいました。(中略)

高校二年生に上がったとき、親に「文系に進むなら最低でも旧帝国大学に進まないと」と言われ、密かに狙っていた私立の推薦も父が国公立しか認めないと言われたので、おじゃんになりました。正直、私になりたいものはなく、父と本当に揉めたくなくて、今まで勉強を頑張ったり進路を選んだりしてきました。そこでわたしは文系をやめて父と同じ***学部に進もうかなと思うようになりました。

私の父は***(とある職業)でとても真面目で尊敬できる人です。休みの日もいつでも仕事をしています。私はそんな父に認めてもらいたいのだと思います。だから、私も***学部を目指したくなりました。なぜか親も私が***学部に行きたいと言ったら、OKしてくれました。

そこから私は、周りの子が全員文系で全員内部進学をする中、国立理系大学を志望して勉強することになりました。塾にも通い始め、この一年間は毎日塾に通い、成績も伸ばして頑張っていました。

でも、高校三年生になる時に急に「もう無理だ」と思ってしまったのです。そこから勉強しなくなって、模試の成績も伸びないので、親が塾に乗り込んできてチューターの方と三者面談もして、頑張ろうと言われました。でもなんだかやらないと行けない、親にお金も出してもらってるし、周りだってサポートしてくれて邪魔する人なんて誰もいないのに、行動がついてこなくなりました。逃げたいだけだと思います。甘えたいだけだと思います。そこから頑張れなくなり、塾もサボってしまうことが多くなりました。

なんだか、落ちることに対しても仕方がないというか、あまり感情を覚えなくなりました。現状を解決したいと建前では思っていても、本当はこのぬるま湯に浸かっていたいだけなんじゃないかとも思います。

私はどうしたらいいのでしょうか。私はなぜこうなってしまったのでしょうか。私に何か新しい見方をください。最近ずっとこんなことばかり考えてしまっています。

本当に長い文章ですが、返信していただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

校長の回答

甘えではなく、甘えられなかったからこそ

挿絵深いため息が出るな。はぁ。本当に。

多くの人に言っていることだから、また同じって思われるかもしれない。けど、だから、そのたびに魂を込めて言わないといけないんだけど…。君、本当に親の期待に応えなきゃとか、いっぱい自分をいじめながら、思い悩んでここまで来たじゃないか。「本当はこのぬるま湯に浸かっていたいだけなんじゃないか」とかさ、自分を疑うなって。自分がいっぱい戦ってきたこと、一番知ってるのが自分なんだから。よくやってきた。そう自分に言ってやってくれよ。君が自分に言えないなら校長が言う。いっぱい頑張った。君が否定しようが譲らんぞ。

ちょっと冷静に考えてみると、君は本来はすごく賢い子で、努力できる子だった。素の状態は間違いなくそうだった。だからそれをまずは忘れるな。疑うな。大丈夫か?そこはがっしりに胸に刻んでくれ。

だけども、まず小学生のころ、いっぱい叱責されて、勉強に悪いイメージがついたんだよな。勉強と叱責は心の中でセットになってしまった。その後もすごくお父さんの眼を気にしていて、まぁ努力して認められたり(認められたというのはお父さんのことではないかもしれないが)、結果が悪ければ否定的なことを言われるわけだよな。誰でもそうなんだけど、こうやって上げたり下げたりと心をぶん回されると、すごく心が削られるし、やっぱりぶん回した人(今回はお父さん)のことをすごく気にしてしまうんだよな。

それもあって、まぁお父さんの意に沿うような進学先を選んだわけだ。お父さんの影響下でここまできたというのがはっきりと分かる。そして、ちょっとした反抗心を出しているところもあるし、お父さんの意向に沿うことが君の願いでもある・・・というわけじゃないんだよな。

「行動がついてこなくなりました。逃げたいだけだと思います。甘えたいだけだと思います」

さっきも言ったが、そう言いなさんな。そう感じたことはもちろん尊重するけども。まず責めるのやめよう。だってどう考えても、心が、もう無理だって、君を守ったんだから。甘えてユルくいられる君なら、もっと前に甘えてるさ。それができないからここまできて、こんなに苦しんで、ようやく急ブレーキがかかるような形になったんだから。むしろ甘えなかった結果。

それと、ここまでお父さんの影響ですごく苦しんできたけども、いつか君は自分の人生を自分の手元に取り戻さないといけないよな。それは、すぐ、ぱぱっと切り替わらないわけ。校長なんかは小6で母親にクソババアとか言って泣かせてたけど(※ちゃんと仲は良い)、一旦そうやって激しい言葉で親の影響下を離れられたから、その後で自分の手で生きてる感じがあったわけなんだよな。やっぱり、こう、自分の手に人生を取り戻す切り替えのときには(過渡期には)、親の思い通りにならない期間みたいなのがあっていいのさ。今はきっとそんな期間で、親の思い通りにならない自分が、どーんと出てきたってことだと思うぞ。それが「もう無理」として出た。

ごめんな、受験の大事な時期なのにこんなこと言って。きっと、いっぱい寝込んだり、悲嘆したり、もうダメだって落ち込んで、休んで・・・。それが君に必要で、それが次に行くための大事な時間なのさ。たぶんそれは受験勉強を急ぐことよりもだ。校長だってすごくつらいとき、しょうもないと思うことに逃げてしまうときはあるけど、それって本当に自分に嫌気が差しながらも、「また戦うために必要だったのかも」とも自分で思うんだよな。悲しいこととか弱ることってないほうがいいように思うけど、深くこもって深く息を吸って、また元気がやってくるような感じ・・・分からなかったらすまん。

あとは、すぐではないけど、これからは徐々に自分で選んでいけるようになるといいよな。お父さんの判断に反して。お金出してるなんて関係ないさ。お金出してても娘が潰れたら意味がないんだから。君が、こうしたいんだって、いつか言ってみ。テコでも動かんと思ったら親だって折れる以外にないし、ここが複雑なんだけど、その諦めが嬉しいときもあるのさ。あぁだったらしょうがねぇって。それに意志を通すような話でなく、今は努力できない、できないもんはできない、だったとしても親はお手上げだからな。折れるしかないんだから君はもう開き直っていこ。無理か。

とにかく一番言いたいことは最初に言ったこと。よく頑張ったし、それを自分だけがよく分かっているんだから、自分を疑うな!だな。疑うなら校長が言うぞ。よく頑張った!譲らんぞ(しつこい)

この回答が少しでも君の気を軽くし、罪悪感が軽減され、動けなくなったことも自分にとって必要だと感じられますように。そして、この頑張れなくなったことも「それで良かった」と思える未来がやってきますように。ついでに、君だけでなく、お父さんもお母さんも幸せでありますように。