相談No.2113

怠惰すぎて能力を腐らせてしまった

挿絵いつも楽しく読ませていただいています。恋愛の相談ではないのですが、長年悩んでいることを吐露させてください。

【何もしないタイプの人間であることに悩んでいる】
【怠惰すぎていろいろなものを腐らせてしまう】

自分は幼い頃から絵を描くのが好きで、専門学校へ進み、今は雑誌のデザインの仕事をしています。

30手前くらいから薄々思っていたのですが、自分はクリエイティブな仕事が大して好きではないこと、寝食を惜しんでつきつめることなどできないということに気付いてしまいました。かといって他に何かをできる能力もなく、今の仕事にしがみついています。

普通好きであれば、その専門分野について調べたり、業界の著名人の作品などをきちんと見て学ぶものですが、自分がとにかくそのことに抵抗があり。昔から習い事が嫌いで謙虚に学ぶという姿勢がない人間でした。

おそらく、昔から自分が「得意」だと思っていたことの世界で、「自分のレベルはこんなもんだ」というのを謙虚に受け止められないのだと思います。自分ではわかっているのですが、本屋の専門誌コーナーにいくだけで、殴られるような恐怖と拒否反応が出てしまいます。本当に性格が悪くてどうしようもないなと思います。

学生時代、周りの子が必死にコンペティションや投稿などで自分の実力を試す中、私はのらりくらりとしていました。それでもある程度収入を得られる会社に入ったので、その場限りの見せ方や調子の合わせ方はうまい人間だったんだと思います。「ニセモノ」だなあ、、と自分ですごく感じます。

対外的にはウケがいいので、「専門学校を卒業して、***を作っています!」などと申しているので、周りからは「すごいね」とか「芸術家だね」とか言われますが、同業の人から見たら「は?その程度で?」だと思います。

事実、本音ではずっと寝てたいです。
一日中、ネットサーフィンをしたり、ひどい時にはそれさえもせず寝ていることがあります。そういうときすごく幸せで「ああ、私は何も生み出さない人間なんだなあ」とぼんやりと感じます。なのでたまにエネルギッシュにいろんなことに挑戦している人や、それこそ自分の専門分野で名を残している人なんかをみると胃袋が押しつぶされそうな気持ちになります。

開き直ってしまえばいいのに、そうすることもできません。仕事ではやはりクライアントさんに「自分はやる気がありません」という顔をすることはできないので、一生懸命やっているていをみせます。しかし何もかもギリギリで、アドレナリンだよりの仕事のスタイルです。締め切りのプレッシャーでなんとか手を動かし、最低限のことしかやらない。

たまに厳しい仕事や、高いレベルが求められる仕事ではとたんにボロが出てしまいます。お客さんをがっかりさせたことが何度もあり、それがフラッシュバックして何かをやろうとするたび、「逃げ」の姿勢になってしまいます。

大好きだった専門分野ですが、自己研鑽を怠ったため腐らせてしまいました。
初めて会った人に「どんな仕事しているの」と聞かれるのが一番苦痛です。なぜなら私が今まで世の中に出した仕事すべて、「いやいや作っている」「どこかサボっている」と自分でわかっているからです。堂々と自分がやりました。これが私の作品ですと言えるワークスはあまりありません。(1つ、2つくらいはありますが、、)

最近では、過去の失敗や過去の自分の「サボり」のせいで、「人前に堂々と出られなく」なってしまいました。いつも後ろ指を刺されているような、仲良くなった人にも自分がいかにひどい姿勢で仕事をしているか知られたら、ものすごい失望をされるんだろうな、という思いでいつもいっぱいです。

愚痴みたいになってしまいました。これからどうやって生きればいいのでしょうか。

給料にしがみつかず、情熱のなくなったまま仕事を受けているということをまず辞める。具体的には仕事を退職するべきだと思っています。何度も実行しようとしましたが、やめられずにいます。「生きているだけですごいんだから自分をだましだましやっていけばいい」という価値観と、「誇りを持てなくなるような生き方は自分を蝕むだけ。リセットすべき」という価値観がいつも戦っています。

どこか、自分の過去を知っている人が1人もいないところへ逃げたい。とも思います。自分が今までこの道を選んできたのは「まわりに評価される」という部分がとても大きかったと思います。「自分は***が好きだから、特別。」という思い込みがあり、周囲にそう思わせてきました。そして小さな失望をさせてきました。どこか知らない土地でなら、「でもお前やるきなかっただろ」と言われることはないから、再スタートが切れるのではないかとも思います。

甘ったれて、贅沢な悩みだと思っていますが、自分のアイデンティティだと思っていた部分が実は違った、実はすごく怠惰だった、しかしそれを今更まわりの人に言えない。(もう引っ込みがつかない)
という経験、校長はありますでしょうか。私くらいなのでしょうか。自分の人生に責任が持てず、30すぎてこんなバカなことになるのは。

ご意見いただけますと幸いです。

校長の回答

価値観が狭い

挿絵そうだなぁ。校長とはだいぶ性格が違うし、同じことは経験してないんだけども、まぁ怠惰な人がいたりコツコツやれる人がいたり、野心家がいたりするのは分かる。そして「本屋の専門誌コーナーにいくだけで、殴られるような恐怖と拒否反応が出てしまいます」というのも分かるんだよなぁ。自分にはできない、と気持ちが逃げているときに無理に努力しようと思うと恐怖心すら湧いてくるというのは、校長も感じたことがあるぞ。

校長の言うことがどれだけ響くやら。頑張る方向でものを言わないからな、校長は。

話は遠回りするけど、例えば「頭が良い」ってどういうことだろうか。なんか勉強だとか頭の回転だとかが思い浮かぶけど、それは人間の狭い価値観でものを言ってるだけだよな。芸能人のアイメイクだけですぐ誰だか分かる人もいれば、深く深くこの世への怒りを醸成している人だっていて、脳はそれぞれ個性的な方向に発達しているだろう。例えば「努力家」ってどういう人だろうか。疲れている中でも無理が利くような人もいるだろうし、やりたいことがみなぎっていて疲れ知らずの人もいるだろうし、コツコツやるのが当たり前のようになっている人もいるよな。

何が言いたいかというと、なーんかこう、価値観が狭いんじゃないかなぁと思う。専門誌を読んで学ぶことが努力なんだろうか。例えば人に評価されたり凄い凄いと言われていたら、どんどん次のことを、寝食を惜しんでやりたくなるんじゃないかなぁと思うし。だから校長は君のことを「努力家ではない」とは言えないと思う。「平時に無理してまで頑張れない」とは言えるかもしれないが。

それとやっぱり思うのは、能力というものの価値観も狭いというか、生かし方がまだ見つかっていないのかなと思うんだよな。クリエイティブな仕事で、そりゃその仕事では伸び悩んでいるかもしれないけど、Youtubeを眺めていたって世界を呪っていたって闘病していたって、その人の中に得るものってあるんだよな本当は。それがお金になる力かは分からないけども。

最近とある歌手の曲をYoutubeで観ていたんだけど、すごく世間に叩かれた憎悪のようなものがよく歌に出ていて、本当に素晴らしいなと思った。君に何が眠ってるか分からないけど、寝ていたこととか、頑張り切れなかったこととか、すごく自分に否定的で、なーんかこう世の中の決まった価値観に毒されているなぁと思う。だって自分に嫌気が差すこととか、「ニセモノ」だと思う気持ちとか、得意だったものが枯れていく感覚とか、それは明らかに本物だろう?すごく残念で、何者でもないような不安で、そういうことに心が動いているんだから。Youtubeを見ていて感じていたことにだって絶対に何かがあるから。

人の力なんて人間の分かりやすい視野で計測できるものではない。100m走で勝つのは超難しいが、野球というスポーツなら、その在り方は少し多様になる。では人生という競技なら?一つの能力で勝負したって、みんなが競う分かりやすい競技に参加したって、狭い席を奪い合うだけで、この世はどうにもならないからな。そうではなくて、自分にあるものをかき集めて、そのセットでできることを提供し、唯一無二になるのさ。その「自分にあるもの」の組み合わせという概念も大事だが、「自分にあるもの」の捉え方も大事。そして自分に否定的だと、どれもこれもガラクタに見えてくる。もったいない話だと思うぞ。

「努力できない」ということもそうだし「能力がない」ということもそうだし、まぁ多くの人に言えることだが、どちらも狭く定義して否定しているなぁと思う。君は何が楽しい?何かが楽しいと感じるのも才能だよな。幼児に向けた牧歌的な慰めのようなことを言っているのではなく。エロいことばかり考えてしまうならそれも力にできるだろう。敏感すぎて泣くならその感じ方も力にできるだろう。もっと言えば、べつにそれを活かす方向が仕事でなくてもいい。

そしてもう一つ言うと、無理して生み出したものだとか、その人の「本当のところ」につながっていないクリエイティブなものなんか、全然人の心を動かさないからな。個性的であろうとか思っても無駄だし、みんなの思うような努力家でもないのに、みんなの思うような努力家を目指したって無駄。人に響くのは自分の内側にある本物だけだぞ。不安か、憎悪か、ハッピーさか、馬鹿さか、優しさか、怠惰さか、諦めか。きれいに取り繕った作品なんか、その人の中に「きれいさ」の純度の高いものがないかぎり、偽物だ。そして一つ君の作品で本物があるぞ。この相談文だ。そしてこの相談文を書くかのように作品を生み出すとかは、そんなエネルギーは、あるんじゃないかなと思う。やりたくない努力をするときとは使う部分が違うだろう。

仕事に生かせるかは分からないが、そんなに卑下するな。もっと自分を肯定しないと。変な話だが、もしネガティブなら、否定的な部分を肯定し、これが私だと思わないと。それも武器だ。つまらん価値観に毒されるなよ。

何か君のこれからのヒントになりますように。
怠惰さも含めて自分を認め、それを活かしたり、愛せますように。