相談No.2197

絵の仕事をしているが、描きたい気持ちがなくなってしまった

挿絵校長先生、悩みと言うかほぼ嘆きを吐き出させてください。(中略)絵の仕事をしている者です。去年、今までで一番大きな会社から仕事を受けました。(中略。お金の面で)余裕で生活はできる状態です。

休暇に入る直前、諸事情でしばらく絵が描けない状態になりました。(中略)ちょうどいいタイミングだったし、ゆっくり休みつつ、絵の勉強やSNS向けの作品をたくさん描こうと意気込んでいました。

ですが休みに入った途端、燃え尽きたように絵を描きたい気持ちが消えてしまいました。私は元々どんなに忙しくても仕事じゃない作品を仕上げたい方で、プロになってからも欠かさず趣味の創作を続けていたのですが、こんなに時間があるのに筆を取る気になれないことは初めてです。
ですがなんとなく自分の中で理由はわかっています。(中略。好きで描いていた絵について)いつの頃からかそれに義務感を感じていて、楽しめていないけどやらなくちゃ…と言い聞かせて続ける状態になってました。(中略)プロになると趣味で作品を描かなくなってしまうクリエイターも多く、それが悪いわけでもないのに、『私はそうじゃない』という謎の誇りのようなものを感じてもいました。今思うと本当にダサいです。
プロになってから趣味で描いた作品は『描きたいか』ではなく『ウケそうか』という観点で題材を決めていました。(中略)だから強制的に絵が描けない状況になった時、解放されたような気持ちになったんです。逆にこういう事情でもないと手を止められなかったかもしれません。でも創作ってそういうことじゃないはずですよね。楽しいからやる、絵が好きだから描く、そこから始まったはずです。(中略)押し込めてた辛さや我慢が爆発して、どうせ途切れたならもう描きたくない、という状態になってしまいました。
努力家でいたかった、絵が好きでたくさん描いてるクリエイターでいたかった、人にそう見られたかったという、ダサい自分のせいです。(中略)努力していたことは素晴らしいけど、『努力している』ことをお守りに結果や実力を二の次に考えていたのは、甘えであり弱さです。(中略)客観的に見たら、絵の仕事で何年も食べれていて、次の仕事も決まっていて、お金に不自由していないなんて、なんていい状況だろうと思います。絵の技術だって昔よりはあるし、減ったとはいえまだまだSNSのフォロワー数は多いし、アマチュアの時、こうなりたいと夢見ていた状況のはずです。数年前は絵の仕事だけでは食べれず、アルバイトを掛け持ちして頑張っていたけど、あの時の方が生き生きと絵を描いていた気さえします。

次の仕事が始まるまでになんとか絵を描く自分に戻りたいけど、どうしたらいいかわかりません。正直今は絵を描きたくないので、絵を描く自分に戻りたいという言葉さえ空虚な気がします。(中略)
校長先生。厳しくても、説教でも、一言でもなんでもいいので、お言葉を下さい……。

校長の回答

あまりに悪く捉えすぎているのでは

挿絵いやぁ、校長もまぁ創作をする仕事もあるわけだし、言ってることはあれこれ共感だらけなんだけども・・・なーんか。なーんか君は、物事を悪く捉えてしまうなぁ。君は努力家でいたかったとか、納期を守る誇りとか、今まで守ってきたものを強く肯定することで、今の自分が否定的に見えるように持っていっているんじゃないか。「創作は描きたい気持ちで描くもの」「楽しいからやるもの」とかも、自分いじめにすら思える。

いつも使う表現だけど、いくら焼肉好きでも、食べ続ければ、食べなきゃと思い続ければ嫌いになるよな。それで「食べなくていい」という時期がきたときにほっとして、焼肉を食べる気になれないとしても、根っこから焼肉を嫌いになったのかと言えばそうではない。また時間が空けば、どうしても焼肉を食べたくなる。まぁ仕事となれば、その「また時間が空けば」を空けることはできないかもしれないが。

宮崎駿監督だって引退しようと思っても時間が空けば戻ってきてしまう。単に「焼肉が好き」が戻ってくるからというだけではないと思う。クリエイターにとって、それは好きだということだけでなく、自分の表現だったり自分を投影するものだからではないか。自分の中にあるものをその手段でしか外に出せないわけで、その機会を失うのは苦しく虚しいものだ。それに、戦場から離れるとなぜかまたその危険な場所に戻りたくなると言われているけれど、自分が思いを注いでいろいろ感じた場には、どうやったって執着心が残るものだと思うぞ。さらには、絵にこれまで心血を注ぎ、スキルを磨いてもきたわけだから、そんなのは簡単に失うことが怖いんだよな。

こうしたありとあらゆる理由で、君の中にある火なんか、簡単に消えないから。前向きに取り組めない時期とかがあるだけのこと。まぁ自分の中は誰だってじわじわ変化していくし、絵に対する感じ方も変わってはいくだろうけど、単純な「好き」が見えなくなったって、その関わり方はより強く深くなっているのではないか。

恋愛だってラブラブが終わって愛憎入り混じる状態になったときに、関係が後退したわけではないだろう?むしろ苦しい時期があるなんて、いかにもクリエイターっぽいじゃないか。苦悩もせず表面的に「好き」だけで走ってる人なんて浅い感じがするだろう?やっぱり、途中でよく分からなくなって、自分に問いかけないと。だからこれでいいのさ。

あとはやっぱり「好きだから描く」への疑問だよなぁ。まぁこれはいろいろなタイプがいると思うが、例えば「好き」の中に、「反響があること」が含まれている人だっているよな。本当にピュアな、自分の内なるものを吐き出すことしかないという超アート寄りな人もいるけれども、みんなを驚かせたいとかが多分に動機の中に含まれている表現者だっている。校長は別に純粋な芸術家が上だとか思わないし、なんか純文学がどうこうとかの話に似ているとも思う。そんなに「好きだから描く」だけが正義なのかと疑問に思うなぁ。

また別のジャンルだけど、あるミュージシャンはインタビューで「昔は、好きな音楽をやれないと嘆いていた。でも、自分には納期とか依頼主が必要で、そういう制約があったときのほうが良いものができると気付いた」と言っていた。これはいろいろなタイプがいるとは思うが、その人は、制約やニーズと自分のやりたいことをガッチャンコとぶつけ合わせたときに、良いものができたんだろうな。この人にとっては「好きだから」が必ずしも正義ではなかったわけだ。

苦悩こそが表現の源泉になっている人もいるし、仕事としてスキルが上がることで、まぁ表現者としてつまらなくなる人もいるけど、スキルと「好き」が合わさってより上のレベルに到達する人もいる。校長はそこは一様ではないと思う。「好きだから」でやれていた自分が好きだったとか、懐かしく思う気持ちは、まぁ分かるけど。校長にもあるし。

だからそんなに今の状況を否定するなと言いたいけどなぁ。モチベーションが上がらない中でも、必要なことをやっていく、そんなときにしか得られないものがある。休んだときにしか得られないものもある。好きな気持ちでしか出てこないものもある。全然ダサくないし、こんな状況も、ちゃんと積み上がってるなぁと思うけども。

「好き」が消えたとも思わないしな。憎らしい彼氏彼女でも、寝顔を見ているときに好きな気持ちが湧いてくる人もいるだろう。目の前のいろいろな気持ちに追われているときには見えないのさ。でも「好き」は消えたわけではないから。

これって君の相談への回答になっているのかなぁ。んー。

この回答の何かが君の栄養になりますように。
そしてこんな道のりも肯定できて、また「好き」も感じながら取り組めますように。