タイトル「「いる」と「する」」
▼下記の事例を読んで正しいと思うものを一つ選んでください。

【事例】
とあるカップルの彼女は、一年付き合っている彼氏がいる。彼氏は一人暮らしなので、週末に彼氏の家に泊まりにいくが、だいたいご飯を作って食べて性行為、そしてすぐ寝るというルーチンになっていて、彼女は虚しい気持ちになっていた。
彼女は「外に遊びにいったりしたい」と訴えたのだが、彼氏は「金がかかるだろ。金使うと幸せなのか?前は一緒にいるだけで幸せとか言ってたのにな」と言われ、何と言っていいやらよく分からなくなったのであった。
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【校長の解説】

彼女は「外に遊びにいったりしたい」と言ったが、彼氏は「結局は金かよ」というような反論をした。前は一緒にいるだけで幸せとか言ってたのに、と。彼氏の言っていることはとても巧妙だから彼女は言葉を失ったが、先を読む前に、ぜひ彼女の立場になって彼氏に反論を考えてみてほしい。
彼女は「外に遊びにいったりしたい」と言ったのだが、それは「もっと金を使ってデートをしてほしい」という意味だったのだろうか。そうではないだろう。現状、彼氏の家に行っても、ご飯を作らされて(もしくは自主的に作って)食べて、性的関係を持って、寝るだけなのである。そういう行為ばかりだから、彼氏の愛を疑ってしまう、というのが彼女の訴えであった。外に遊びにいきたいというのは、お金を使ってほしいということではないし、むしろ「一緒にいるだけで幸せ」がこのケースでは外にあって、それを味わいたいということでもある。今は「一緒にいるだけ」ではない。ご飯を食べて性的関係を持つ、これがメインになっている。だからもっと普通に、彼氏彼女っぽく、特に性的関係を離れたところでのつながりをしっかり味わいたかったのである。
彼氏は「結局は金か?」と言わんばかりの問い詰め方をしたが、彼女から言わせれば現状が「結局カラダなの?それともメシつくってくれるロボなの?」と言いたいところではないだろうか。もっと精神的なつながりを感じたかったし、その結果として食事を作ったり体の関係を持ったりしたかったろう。
「何か理由があって付き合っているのでは」「何かの利益によって付き合っているのでは」と思うのは苦しいものである。食事を作ってくれるからとか、性的関係を持つことができるからとか、そういった目的があって付き合っているのではと疑うのはつらい。本当は「お前という存在は一人しかいない。何もできない人になっても、そばにいてほしい」と思ってほしいのである。そうやって愛されたいのだが、いつもいつも「食事」だとか「性行為」だとかはっきりとした行動がそこにあると、愛が分からなくなってくる。
究極的には、一緒に何かを「する」よりも、一緒に「いる」ことで愛を実感するのである。「する」ということを通じて関係性が発展したり価値が拡大したりもするし、それはそれで大事なのだが、「する」ばかりだと、「する」人が他にいれば代わりが利くんじゃないかなどと不安になってくる。たいしたことをしない日もあるからこそ「いる」が際立ち、愛が分かりやすくなるのである。
ちなみに「何か理由があって付き合うのは苦しい」と説明したが、自己価値がとても低い人にとっては、逆に「理由」があったほうが心に満足感がある、ということもある。例えば愛を信じられないとか、愛される自信がない人にとって、体を求められることや経済力に期待されることは、必ずしも嫌なことではない。目的がはっきりしていたほうがありがたい、好きだとか大切だとか言ってくる人のほうが怖い、という人もいる。だがそれは、心が10%しか満たされていないときに40%満たされるだけであり、40%満たされたときにはやはり理由のない「愛」が欲しくなり、100%を欲するのである。だから、すごく寂しくて身体を使って男の気を引いた人は、最初はそれで良いと思っていても、性的に相手を満たした後にはもっと気持ちで愛されたくなるし一緒にいたくなることが多いのである。女として求められて40%の満足感を手に入れた後は、「いるだけで良い。大切だ」という、100%を満たして欲しくなる。
逆にカップルが「いる」だけでつながるようになって(存在の大きさだけでつながるようになって)、「する」を忘れると、不安というより、どんどん張りがなくなっていって人生のみずみずしさを失うから、恋愛にとっては特に両方が大切ではある。しかしながら「いる」のほうはよく見落とされがちなので、この対比はよく覚えておいてほしい。