タイトル「引っ張り上げられる」
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挿絵【事例】

とある二十歳の女は大学生であり、とある専門学校にも通って、とある職業に就きたいと思っているが、ためらっている。というのも、最近その職業体験というか軽く職場見学するような機会があり、憧れは増したのだが、とても一線で働いている人のようになれるとは思えなかったからである。

やっぱりその道を諦め、実家の家業を継ぐかごく普通に就職しようか、と考え始めたのであった。
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play_arrow 「やれそうにない」と感じたのなら彼女には素質がないと言える play_arrow 彼女とその一線で働く人は、実はさほど実力に差がないと言える play_arrow 彼女はその見学を通じて先を見通せたとは言えない

【校長の解説】

挿絵いきなり違う話をするが、校長は高1のときに理系科目が得意だったにもかかわらず、理系の大学受験問題などを見て恐れをなし、高2では文系に進んだということがあった。この問題文の彼女もまた、先を見過ぎていると言えるだろう。

何のジャンルでも第一線で活躍するような人を見ると、本当にはるか遠くにいるように思えるものである。いや実際に、はるか遠くにはいて、距離はあるかもしれないが、そこまでの「道のり」は少しイメージとは違うかもしれない。

例えば自分が歌手になりたかったとして、すでにスターに上り詰めた人と比べたら、雲泥の差があるように感じられるだろう。歌唱力は問題ないとしても、ステージ度胸や、カリスマ性、聞かせ方や客の乗せ方などに漠然と気圧されるかもしれない。スターに上り詰めた歌手が自分でやってるわけでもないような、例えばバックコーラスとか、演出全般まで、遠く遠く感じて勝てないと思ってしまうかもしれない。そして自分がそこまでできるようになるにはどれだけかかるのだろうかと思うと、絶望的になることだろう。

これは様々なジャンルで言えることである。自分でそこに辿り着くというイメージを持つと、そこまで自分を鍛えないといけないし、様々な経験を積まなくてはいけないし、今の努力を続けていてそこの域に到達できるわけがないと感じてしまう。そして何か始める前から諦めてしまうこともあるだろう。

だが現実は少し違うのである。例えばイチローと同じ才能がありながらもプロ野球にすら挑戦しなかった人だっていることだろう。イチローがイチローになるまでにとんでもない努力が必要なのは確かだが、本人が一人の努力だけでその領域に辿りついたわけではないはずである。実際にドラフト4位で入ったイチローは大きな期待を受けていたとは言えないし、受けた指導が良くて本人の努力もあって何らかの結果が出て、その結果が次のステージを引き寄せる、そしてさらに難しい課題が登場して、それにふさわしいスタッフのレベルとか様々なフォローもあって、実力も伴って、その課題をクリアする。そうやってどんどん進んだはずである。

スターになった歌手は、本人がそうなったという側面もありながら、環境によって作り上げられたという側面もあるはずで、スターにさせられたとも言えるのである。第一歩からスターまでに100という距離があったとして、100を踏破できる力が最初から必要なわけではない。10ぐらいまで勢いよく突き進む力があれば、次の課題にチャレンジするための環境が与えられたり、その勢いに乗っかる協力者がいたりして、さらに先のステージまでいけるのである。そうやって一つ一つ積み重ねながら、目の前のことに必死になりながら、潮流に乗るかのように気付けば100を踏破していた、という形で到達するのである。100まで自力で鍛えるのは大変だが、10のときには11まで鍛えざるを得なかったとか、30までいったときには31のことを知らずにはいられなかったとか、40まで行ったら勝手にみんなに騒がれて期待されてスターのように振舞ったとか自信がついたとか、そうやって進んでいく。

何が言いたいかというと、どんなことでも「先に進めば次の課題がやってくる」というだけでなく、引っ張り上げるような力が働いたりして、自動的ではないが、その場ではその場なりのエネルギーが与えられるのである。そういったことは、第一歩を踏み出す前からは想像できないことである。

目の前の一歩、その積み重ねが大事なのである。遠くのことは、目の前の一歩を積み重ねた後でしか分からない。そして、たとえ最初は偽物でも、たまに環境によって本物にさせられるのである。